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お店のおばあちゃんが天国にいった

久しぶりの投稿ですが、
今日は少しプライベートな事で、
今の自分の気持ちを整理する為にブログに残しておこうと思います。

2021年5月17日に、
私の祖母が91歳で天国に召されました。
看病に行っていた母の横で、早朝、眠るように。
前日の5月16日は祖母の誕生日だったので、
親族全員でビデオレターを送ってお祝いした、その翌日でした。

祖父は両方亡くなってるし、
父方の祖母も既に亡くなっていたので、
祖父母でいうと最後の一人。

「お店のおじいちゃん、お店のおばあちゃん」

私が小さい頃から駄菓子屋を営んでいたので、
昔から母方の祖父母をこう呼んでいました。

ピアノ講師である母が、実家である祖父母の家で週に1日ピアノを教えていたので、
私も小さい頃からよく一緒に連れてってもらってました。

「鳳、富木、北信太♪」

JR阪和線で鳳に着くと、
こうやって母と姉と一緒に歌いながら最寄り駅である北信太へ向かいました。

おじいちゃん、おばあちゃんに会える!!
そう思うと胸のトキメキが止まらなかったあの感覚を今も覚えています。

母がピアノを教えている間は、
おばあちゃんと一緒に店番をしていて、
近所の子供達が来たときには少し自慢げにカウンターの裏側に回りつつ、
ビニール袋に駄菓子を詰めてクルッと結ぶ様子をじっと眺めていました。

ユーモアがあり、遊びの天才だったおじいちゃん。
駒やベーゴマ、メンコなどがとても上手で、よく遊んでもらいました。
一方、そんな「自由人」だったおじいちゃんを支え
(かなり色々と大変だったみたいだけど)、
財政面から何から裏で全て仕切っていたのがおばあちゃん。

(おじいちゃんは、65歳ぐらいの時に2人の老後用に貯めてたお金を全部使いきって、三重県の山奥にログハウスを建てたぶっ飛んだ人です。笑)

おばあちゃんは当時、
今の駄菓子屋がある家を買う時に、
都市計画図?を何処かで手に入れ、
バス停が出来るであろう場所を推測し、
その目の前に位置した土地を見て、
「ここなら人が集まる!」と予測して家と駄菓子屋を建てたらしい。
その予想は見事に的中し、
バス停で待つ人や、車で通った人がたくさん寄るようになったとか。

これを言った後で、自分で言うのも何だけど、
私の性格は、完全にこのおばあちゃんの遺伝子を引き継いでると思っています。

言葉ではなかなか言い表せないけど、
「物事の考え方」とか「人との付き合い方」とか「お金の使い方」とか。
何かしらいつも共通点を感じていたし、
おばあちゃんもそう感じてくれてたかと思う。

大きくなってからだけど、
「庭には食べれる物しか育てない」というモットーが一緒だったときはビックリしました。
ここも一緒か!って。笑


今回、そんな大好きなおばあちゃんが亡くなって、
自分の大切な何かが、また一つ離れていった感覚になっています。
と同時に、思い出がいっぱい詰まったあの家も、
おばあちゃんが大事に育ててきた金柑の木やみかんの木も、
あの駄菓子屋も無くなることになります。
それが辛い。

これで本当に良いのか。

親族みんなの思い出がたくさん詰まったこの場所。
なんなら近所の人たちも、このお店の事を愛してくれてたと思います。
当時、本当にたくさんの子供達が駄菓子を買いに来てたから。
今はどうする事もできないけど、
今日はなんかこの気持ちをどこかに残したくて、ブログを書きました。

最後に、、この前掃除しに行った時に撮影したお店の写真を載せておきます。

ずっとシャッターが閉まってたんですが、
何年ぶりかにこのシャッターを開け、
その手の感覚と音を聞いた時に、
心の奥に閉まっていた何かが動いた気がしました。

「ガラガラガラガラ。」
おじいちゃん、おばあちゃん、遊びに来たよ!

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